こころのブログ

今までの失敗&成功体験をもとに、「悩んでいる人の気持に寄り添いたい!」がテーマのブログです

① 〜自信とは何か? 自信を構成する3大要素〜

「自分に自信がない」という人が本当に多いです。

読者様本人や読者様の周囲にも「自信がない人」が多いのではないでしょうか?

 

・悪いことをしていないのに、いつも「すみません」といって謝っている

・いつも人にどう思われるか気にして、気が張っている

・自分の意見があっても言えず、流されてしまうことが多い

 

最近人から「自分に自信がないんです」という相談や悩みを聞く機会が重なったので、

今回は自信がない人の原因と対策をテーマに書いていきたいと思います。

 

長くなりそうなので、幾つかの記事に分けて書いていきたいと思います。

 

ちなみに、自分はその人に励ましや慰めはしませんでした。

反って、自分の目標に立ち返るように促しました。

 

その人が自分の自信のなさを埋めるために自分に頼ってきていることが分かったので、

励ましをしませんでした。その一時は良いですが、長期的に考えるとその人のためにならないですし、依存が始まるからです。

 

余談でした。。。

 

目次

1.自分に自信がない人の特徴

2.自分に自信がない原因

3.本当の自信とはなにか? 自信を構成する3大要素

 ・存在意義

 ・期待感(自分&他人)

 ・帰属意識

 4.まとめ

 

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1.自分に自信がない人の特徴

 

・悪いことをしていないのに、いつも「すみません」といって謝っている

・いつも人にどう思われるか気にして、気が張っている

・自分の意見があっても言えず、流されてしまうことが多い

 

2.そもそも自信とはなにか?

 

 -自信を構成する3大要素

 

よく自信がある人、ない人と言いますが、

そもそも自信とは何でしょうか?

 

私は「自信」とはこの3要素から出来ていると考えています。

 

・期待感

帰属意識

・存在意義

 

 

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期待感は、

自分には可能性がある。

人から期待されている

という感覚です。

 

例えばあなたがTOIECで800点取ることを

目標にしたとします。

そして、その目標の為に毎日5Pテキストを進めることを

自分に約束したとします。

それを、毎回流されて出来ず、そんな事が何回も続けば

自分に対して期待するのは中々難しくなってくるのではないかと思います。

 

これが期待感です。

 

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帰属意識は、

簡単に言うと、

自分には帰るところ、頼れる所がある

という感覚です。

 

虎の威を借る狐

 

という言葉を知っていますか?

普段情けないスネ夫ジャイアンと一緒になると

急に自信満々になるのと同じ心理です。

 

読者の方も信頼の置ける仲間と仕事をしたり、遊んでいる時に

安心感や喜びを感じる時があると思います。

 

ちなみに、自分は人間が帰属する最小単位は家庭であると考えています。

人間が生まれたときから必ず持たざるを得ない意識だからです。

父母のいない子供はいません。

 

 

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存在意義は、

読んで字の如く、自分が存在している意味です。

それは人から与えられることもあれば、自分で見出すこともあります。

 

誰でも人から必要とされていることが分かれば自信が持てますし、

自分はこの為に生きているという、理由が見つかれば人生に主体的になり

自信が出てきます。

 

2.自分に自信がない原因

 

 

自分は何故自信がないんだろう?

 

多くの人が

幼少期の家庭環境に原因があるのではないか?

と感じているようです。

 

・幼少期必要以上に否定された経験がある

・幼少期兄弟や姉妹と比べられることが多かった

・家族との関係が希薄

 

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幼少期に否定された経験の多い人は、確かに

自分に対し期待したり、存在意義を感じたり、

帰属意識を感じたりするのは難しいかもしれません。

 

・また人によっては、過去の挫折体験や失敗体験が原因で

自信が持てなくなっているのではないか、と考える人もいます

 

まとめ

 

今回は記事が長くなりそうなので、分けながら書くことにしました。

 

記事を書く前に調べておこうと思い、ネットである程度検索してみたのですが、

どれも場当たり的なことを言っていたり、付け焼き刃のことばかりを言っていて

少しうんざりしてしまいました。

 

次回は自信がない本当の理由など、読者の皆様に少し受け入れがたい内容を書くと思いますが、

自分は間違いなく真理であると確信している内容です。

よければご一読ください。

 

 

塩狩峠を観たら、意外と教育者のあるべき姿が見えてきた話

皆さんこんにちは、こころのです。

今日映画『塩狩峠』を視聴しました。
めちゃくちゃ感動してボロ泣きです。脱水症状になるかと思いましたw
今回はその塩狩峠の中で感じた内容、勉強になった内容を書いていこうと思います。

 

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皆さん塩狩峠知ってますか?

三浦綾子さんの小説が原作の映画で、
北海道の上川郡にある塩狩峠という場所で実際に起こった
列車暴走事故をもとに描いた小説です。

主人公はクリスチャンの男性で、その男性が信仰を持ち始めてから、
最後列車事故により亡くなるまでを描いた作品です。

主人公の永野は、暴走により谷底へと向かう列車を
自分を下敷きにして止めるのですそして永野の犠牲のおかげで
乗客は全員無事に助かります。


もちろんクライマックスは、最後主人公が自分の命を
犠牲に乗客を助けるところです

が、


自分が印象に残った場所は違います。

主人公の永野は信仰における先生のアドバイスに従い、
生活の中で聖書にある聖句の1つだけを徹底して実践するようになります。

永野はその信条に従って会社の後輩に尽くしていきます。
給料を泥棒されても恨まず、後輩を首にした上司に一緒に謝りに行ってあげて、
その後も尽くし続けていきますが恨まれっぱなしです


そんな永野は自分の信仰生活を告白する神様への手紙の中で
このように語っています。


自分は傲慢だった

 

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このシーンを見た時に自分は本当に目から鱗が落ちるようでした。
自分もこの主人公永野が反省しているように、

自分は教会で教育者としての立場にも立っていますが、
日々人に色々な事を教えてあげようとしています。ですが、、
その行動や親切の裏には相手への見下しがあり、傲慢さがあることにきづきました
まさに、分からないお前に教えてあげる。です。

どんな時も、相手に対し何をしてあげるよりもまず自分の見方が変わらないといけません

いついかなる時もです。何か悪いことが起きているときは必ず自分に原因があります。

その現象を悪いことだと捉えている自分のフィルターがあるからです。現象自体に良し悪しはありません。

加えて自分の「教えてあげる」は、相手の為に教えてあげるよりは、
自分の都合のいいように、もしくは自分のものさしや型に押しはめた中で
良い方向に変わってもらえるように「教えてあげる」な気がしました。


相手が少しでも成長できるように教えてあげなければなりません。
また、色々願うものはあるけれど、その中でも一歩何を頑張らせてあげたら良いだろう
と、考えないといけません。

それが、部下や後輩を持つもののあるべき姿勢だとも感じます。

 

そのようにして生きた人の証が今も語り継がれています。こちらはモデルとなった方のお墓の写真です。

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あの人の出しゃばりに腹が立つ!

こんにちは、
この土日は忙しくてちゃんとした記事をあげるのが難しいので、
簡単に書いていきます。

意外と簡単な方が読みやすかったりして。。。いかがでしょう?


今日は最近自分が教会の活動でフェスティバル・お祭りの
手伝いをしている時に感じたことを書いていきたいと思います。

この時期にお祭り…(笑)


目次
1.フェスティバル概要と役割分担
2.あの人の出しゃばりが腹が立つ!
3.何でこんなに腹が立つんだろう?
4.まとめ

 

 


1.フェスティバル概要と役割分担

 

お祭りの趣旨としては国際協力のイベントで、
こんな時期だからこそ、他国を愛していこうというのが目的でした。
自分たちが必死で他国を愛していくことで、来場された方も
この人達は何故ここまで他国を愛せるんだろう? と思ってもらえると思い
当日も必死で取り組みました。

自分はその日屋台の会計係をしていました。アイスの販売です。
ですが、ただ会計をするだけじゃ駄目だなと思い、
笑顔で接客したり、展示されているパネルの説明に努めました。


全体のお祭りもすごく盛況に終わり、来場されたお客さんにも
「ここの人たちは心が温かいね」「他のお祭りとは何か違うね」
と言ってもらうことが出来ました。


2.あの人の出しゃばりが腹が立つ!

 

最初は楽しく仕事が出来ていたのですが、
途中から同じ屋台のお姉さんが仕事を手伝ってくださるようになりました。
それまで別のところで仕事をしていて、戻ってきたのです。

お姉さんは屋台の入り口に立って、呼び込みや接客をしてくださいました。
元々接客が上手で、顔も広い方だったのでどんどんお客さんが入ってきました。

全体としてはそれで良かったのですが、自分としてはそのお姉さんの行動が
すごく気に入らなくて腹が立ってしまったのです


・自分と役割がかぶってる。。。
・動きが何か腹立つ
・途中から来てなんだよ

みたいに思いました。


3.何でこんなに腹が立つんだろう?

 

それを通して私は自分のなかにある良くない部分を見つけていくことが出来ました。
その人に原因があるわけでないことは分かっていたので、そのお姉さんのことは
全く恨んでいません。


仕事を取られて腹が立つのは、
まだ全体の喜びを自分の喜びとして感じれていない、
まだ相手を愛していく気持ち以上に自分がやりたい思いがある
という事なのではないか、ということに気づきました。

自分が喜ぶために、相手を愛するみたいな。。。


こういう事が子供を甘やかしすぎたり、
部下の顔を伺ってしまう心理なのかなとも思ったりします


4.まとめ

正直自分も修行中のみです。
時々率直にこういう事に腹がたった、感じた的なことを書いていくかもしれません。

嫌なやつに振り回されない為に

こんにちは。こころのです。

突然ですが、皆さんは人生の中で誰かを本気で心の底から殺したいと

思ったことはありますか? 

そこまででないにしても、

「何でこんなやつが生きているんだ?」

「こいつさえいなければ」

と誰かを恨んだことは誰にでもあるのではないでしょうか?

 

今日は提案とそういった人を恨む心理の言語化をしていこうと思います。

 

目次

1.こいつのここがムカつく! 嫌な奴あるある

2.嫌な奴に出会った時の2つの行動パターン

3.敵中心の人生

4.自分はどう変わることが出来るか? を考える

 

 

1.こいつのここがムカつく! 嫌な奴あるある

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自分は先程書いたとおり、殺したいと思うほど人を憎んだことがあります。

皆さんにおいても、同じように誰かを憎んだり好ましく思わない事は

日常茶飯事なのではないでしょうか?

 

たとえば。。。

 

「あいつは何でいつも全体の和を乱すんだ。あいつの言動のせいで雰囲気がメチャクチャだよ」

「何であいつはいつも自分にばかりきつく当たるんだ。」

「いつも嫌味ばかり言って、本当に嫌なやつだな」

「うちの部下は本当に使えない。もう少し真面目に取り組んでくれたら良いのに」

 

 いや~本当に嫌なやつって何であんなに嫌なんでしょうか?W

挙げたらきりがないですねW

 

2.嫌な奴に出会った時の2つの行動パターン

 

 

恨んでいるだけで、自分の内側に留まっていたら良いですが、

こういった感情に任せて生きていくと、人はある行動に出ます。

パターンは2つです。

1つ目は、敵の排除

 

2つ目は、逃亡

 

です。

どちらも程度の差はありますが、必ずこの2つのうちのどちらかもしくは両方に出ます。

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敵の排除ですが、

実際に相手を潰しに掛からなかったとしても

相手の悪口を広めて評判を落とすようにしたり、

あわよくば仲間はずれにしようとしたり、します。

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逃亡です。

こちらは、あいつがいる環境では働けない、いることは出来ないといって、

転職や転校など環境を変えようとします。

もしくは、心を固くして表面上は付き合うけれども心は全く開かない

といった行動に出ます。

 

そして最後にこういうのです。

「あいつさえいなければ」

「こんな環境でなければ」

 

3.敵中心の人生

 

 

自分は書きながら随分思い当たる節があったのですが、

読者の皆様はいかがでしたでしょうか?

 

先日『7つの習慣』を読んでいた時に、

すごくぴったりな言葉を見つけました。

 

こういった、人を憎みながら過ごす人の事を

7つの習慣』では、このように言っています。

 

敵中心の人生

 

ほとんどの人は敵を中心に生活していると言われると、そんな事あるはずがない。

今すぐにでもあんな奴と縁を切りたいと思うことが多いそうですが、実はそんなこともないようです。

 

敵中心の人生を送っている人は、

相手がどのように行動するかによって、自分の感情が左右され、

いつの間にかその人が自分の気に入らない行動はしないかとその人の行動ばかりを気にしてしまうそうです。相手に自分の感情が振り回されるだけでなく、職場を変えたり、大切な時間まで消費してしまいます

 

 

 

ただでさえ、嫌いな人間なのに、さらに自分の貴重な時間や環境まで

邪魔されるのは馬鹿らしいことだと思いませんか?

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4.自分はどう変わることが出来るか? を考える

 

 

嫌な人がいなくなれば、

もしかすると、ストレスが無くなるかもしれません。もっと上手くいけば、色々なことが好転していくかもしれません。幸せに生きていけるかもしれません。

 

ですが、同じような性格の人と二度と会うことはないと言い切れるでしょうか?

表れる度に環境を変えたり排除したりするでしょうか?

 

嫌な環境や人は絶対に変わりません。

嫌なことに巡り合わせた時に皆さんには是非、

 

そんな環境の中で自分はどう変わることが出来るか?

 

を考えていただきたいです。

 

5. まとめ

 

 

今回結構ズバズバ書いてしまいました💦

人によっては不快な思いになったかもしれません。

ですが、最後まで読んだということは少しでも変わりたい思いがあるからだと思いますし、

共感できる部分があるからだと思います。

 

是非お試しください!

 

 

 

流されやすい自分

 

 皆さんこんにちは。

最近どんな書き方であれば読者の心に寄り添えるのか

迷走しています。。。何かアドバイスがあれば教えて下さい!…いや、本当に。

 

さて、今回は徒然に昔自分がかなり流されやすい人間でそんな自分が

大嫌いだったので、もしかすると同じ悩みを持つ人もいるのでは? という事で

書いていきます。

 

目次

1.流されやすい自分が大嫌い

2.何故自分は流されやすいのか?

3.精神論じゃダメ!

4.流されない自分になるための2ステップ 

5.まとめ

 

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 1.流されやすい自分が大嫌い

 

皆さんはついつい流されてしまうことはありませんか?

・元々勉強するつもりだったけれど、上司に飲み会に誘われて。。。

・本当は納得していないけれど、全体の雰囲気に流されて。。。

・明日までにはやらないといけないのは分かっているけれど、ついついスマホをいじってしまう 

 

こんな経験はありませんでしょうか?

 

流されてしまったな、と人が思うときは総じて

「本当はこうしたかったのに、出来なかった」ときなのではないかなと思います。

 

私も実はかなり流されやすい人間で、特に人に遊びに誘われたときや

人に同意を求められた時にすぐに「YES」と言ってしまいます。

元々ノリの良い性格もありましたが、相手に悪く思われたくない思いから

殆どの誘いは受け入れていました。毎回「YES」だと、さすがにバレると思い、

5回に1回は「NO」にしてみたりしていました(笑)。

 

あとは、断ったら相手が「可愛そう」とどうしても思ってしまいます。

訪問販売や街頭で声を掛けられたときなどがまさにそうです。

絶対に断れませんw というより、自分の性格を知っているんじゃないか? と思うぐらい

話しかけられたり、訪問が来たりします。

 

でも、そんな風に楽な方に流されても課題や勉強などつけは必ず回ってくるので

その課題に苦しんだり、要らないものを買って自分が困ったり、

苦しんだり困る度に自分はなんでいつも誘いを断れないんだ、

流されやすい自分を悔いたり、責めていました

 

そんな風に責める度に自分のことが嫌いになっていきます。

「意気地なし」「意思が弱い」そんな自分の言葉がどこからともなく響いてきます。

 

 

 

2.何故流されてしまうのか?

 

 

何故流されてしまうのか? 以下のような理由が考えられると思います。

 

 

  • 何とかなると思っている
  • 無意識に出来なくても良い理由を作っている
  • 相手に嫌われるのが怖い
  • 流された方が都合の良い環境で生きてきた
  • 現実逃避

 

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 ・相手に嫌われるのが怖い

 

 

 自分の場合がまさにそうでしたが、相手の表情ばかり気にして

嫌われないか不安でそれほど興味のない内容でも、誘われれば断ることが出来ませんでした。

 

・現実逃避

 

また、現実逃避というパターンも考えられます。やらなければいけない事の期日は

確実に迫ってきますが、その現実と向き合う気力がなくて、迫ってくれば来るほど

現実逃避をするために、流されていくようになります。

 

また、それが正当なものであれどうであれ、無意識のうちに出来ない、もしくはやらなくても良い

理由を頭の中で勝手に作ってしまっているかもしれません。

  


 3.精神論じゃダメ!

 

 

そんな風に流されやすい自分を発見し、克服しようと思う度に自分は、

「以前は意志を強くすれば良いんだ!」「もっと根性見せろ」と思っていました。

ですが、そんな風にするたびに負けてしまった時の反動が強く、さらに根性のない自分と思うようになり一層自分を責めました。そもそも精神論で何とか出来ないから流されてしまうんです。

 

根性で乗り切ろうとしないでください!

 

 

 

4. 流されない自分になるための2ステップ

 

 

ステップ1.失敗パターンの分析

 

どんな理由で流されているにせよ、まずはどんなパターンで流されやすいのか分析する必要があります。見当違いな方法でアプローチしても得られるものは少ないですね。

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ステップ2.自尊心&自制心を育てる

 

まずは、負けた自分を責めないことから始めてみるといいかもしれません。

受け入れられることを学ぶと、自然と自尊心が生まれ、相手の表情を気にせず

断れるようになってきます。

 

現実逃避で流されているのであれば、

目標や目的意識を持つと良いかもしれません。

7つの習慣』のなかでも、目標や目的を持つと自制心が育つと

書かれています。

 

 

 

4.まとめ

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流されない自分に変わっていこう、自分を変えようと思うのは決して簡単なことではありません。あまりに地道な作業ですから、時に「こんな事続けてて意味あるのかな?」という思いになることもありますし、心と向き合うので体力も使います。ですが、成し遂げていった先に本当に大きな喜びが待っています。 

 

是非お試しください。

 

 

 

 

 

悲劇のヒロイン症候群って?

 

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皆さんこんにちは。

突然ですが、「悲劇のヒロイン症候群」という病気を知っていますか?

悲劇のヒロイン症候群というのは、

自分を悲劇のヒロインに重ねて、その事によって人から関心を得ようとしてしまう病気です。

 

自分には以前からこの病気に合致する傾向が強いなと感じていた部分があり、

また少しずつその状態を脱しながら感じることは自分以外の人も、大勢の人が

少なからずこれに当てはまるのではないかということです。

 

目次

1.悲劇のヒロイン症候群の人の特徴

2.何故そうなってしまうのか?

3.自分のお話

4.だからって、どうすればいいの?

 

1.悲劇のヒロイン症候群の人の特徴

・不幸でいることで安心する。

・自分の不幸自慢をする

・弱さを武器にする

・被害者になりたがる

 

悲劇のヒロイン症候群の人には、

このような特徴が挙げられます。

 

「自分なんてどうせ、…」をわざわざ繰り返し人の前で言い続ける人、

どんなに励ましの言葉やアドバイスを受けても、出来ない理由や駄目な理由ばかり言う人など、身に覚えはあったり、周囲にそういった特徴の方はいないでしょうか?

 

 

2.何故そうなってしまうのか?

 

原因は、

・誰かに心配されたい

・幸せになる勇気がない

・不幸な自分に酔っている

 

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こんな原因が一般的に挙げられます。

 

・心配される為に、不幸な自分を装う。

・不幸でなくなったら、誰にも心配して貰えなくなるのではないか?

・自分の不幸な境遇や苦労している境遇を

見つけることで、自分は他の人とは違うのだと、特別な自分だと思おうとする、また変わらなくてもいい理由を探し出し、安心しようとする

 

このような心理が隠れていたりします。

 

「当てはまるな〜」

「あの人、もしかして。。。」

と思う人もいるかもしれないですね。

 

この病気は誰でも少なからず当てはまる内容なので、「あぁ、自分は病気なんだ。。。」と思わずに、そういう自分がいるんだな、とまずは認めてあげてください。

 

3.ちょっとした自分のお話

 

少し重めですが、軽い気持ちで読み進めてください👍

 

自分には小学5年生ぐらいから、怪我をしたい、病気になりたいという思いがありました。

 

明らかに先に挙げたような悲劇のヒロイン症候群的な特徴です。

 

怪我をして、特別な自分になりたい、心配される自分になりたいと思っていました。

ある日、インフルエンザにかかった時、あまりに嬉しくてわざわざ両親の寝室まで行ってそこで辛そうな振りをしていたのを覚えています。

 

自分にそんな心理がある事にも中々気づけず、

気づけば二十代になり、幸せになりたい筈なのに、どんどん不幸になる道を自分から選択していってしまうようになり、身も心もボロボロな状態になってしまっていました。

 

ある日職場の先輩と飲んでいる時に、

本当に何気なく

「骨折してる人ってかっこいいですよね」と

話した時に、全力で否定されて

そこで自分の感情が普通でない事に気づいたのです。

 

4.じゃあ、どうすればいいの?

 

原因や特徴は分かったけれど、結局どうすればいいの?

という話になってくるかと思いますが、まず初めに知ってもらいたいのは本当に難しいという事です。

何故なら本人は不幸でいる事に満足しているからです。

 

もし、周囲にこの特徴に当てはまるなという方が居ても無理に変えようとはせず、温かい目で受け入れてあげてください。

 

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本人が不幸でいるよりも、心の扉を開けて

周囲と和合した方が幸せになれるという事を実感しなくてはいけないので、とにかくどんな状態であっても認めて受け入れてあげる事です。

 

また、本人が取れる行動としては

まず自分の症状を認め、不幸な境遇を探している時と、幸福になっていこうとするのとどちらの方が自分の心は喜んでいるのかを考え出さなくてはいけません。

また、愛される勇気、幸せになる勇気を持ちましょう。

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自分は本当に周囲の方に恵まれて、

何度も受け入れ、愛される事で少しずつ自分の心の扉を開けていくことが出来ました!

 

 

いじめられキャラ

こんにちは。今週の土日は、雨が降りそうですね。

お出かけの際はお気をつけて☂

 

タイトルから何となく分かっている方もいるかも知れませんが、

今回は「いじられキャラ」について…ではなく!

 

「笑ってやってるからって良い気になりやがって」

「そのいじり全然面白くないんだけど…」

「そのいじりは流石にやりすぎ…でも、皆笑ってるし怒りにくい。。。」

皆さんはこんな思いになった事はいないでしょうか?

 

「いじめられキャラ」という事で、過度にいじりを受けていると感じている方に

向けて記事を書いていこうと思います。

 

 目次

  

1.「いじられキャラ」ではなく、

「いじめられキャラ」だった自分

2.心の奥底に隠れた心理

-・嫌いな人間にも嫌われたくない。

  ・嫌いな相手でさえ、相手の事情や立場を考えて可哀想に          思い、助けてしまう。

3.一周回って「いじられキャラ」に定着しました

4まとめ

 

 

1.「いじられキャラ」ではなく、

「いじめられキャラ」だった自分

 

 

「笑ってやってるからって良い気になりやがって」

「そのいじり全然面白くないんだけど…」

「そのいじりは流石にやりすぎ…でも、皆笑ってるし怒りにくい。。。」

 

先程自分はこのように書きましたが、これは実は他の誰かの話ではなく

自分自身がずっと感じてきた思いでした。

簡単に自分の過去とその時に感じてきたことを書いていこうと思います。

 

自分がいじられキャラになり始めたのは、中学生頃からでした。

最初は自分がいじられキャラだということは特に意識しておらず、

何かからかわれたりすると、持ち前の明るさを持って面白い風に

返すように努めていました。それも自分の中に特に頑張っている感じや無理をしている感じはなく、相手を喜ばせることは自分にとっての喜びでもありました。何か自分がオーバーにリアクションしたり、面白い風に返したりするといじってきた相手も笑ってくれてそれが嬉しかったです。

元々の自分の性格もいじられやすかったかもしれません。

不器用で何をやってもカッコがつかず、陽気な性格や、限界に達するまであまり怒らないなど、

あまり人に警戒心を持たれにくく取っつきやすい性格でした。

 

ですが、そのようないじりもいつしか行き過ぎるようになりました。

特に中学生3年生ごろがもっとも酷かったです。

 

特に印象的な出来事が幾つかあります。

中学生時代自分はサッカー部だったのですが、練習の休み時間のことです。

暑い時期だったので、水道でたむろしお互いに水を掛け合いながら遊んでいました。

そのうちエスカレートしていき、部員の一人が水を口に含んで、人に向かって吐き出す真似をし始めたのです。真似だけで済めばよかったのですが、ついに自分はその標的にされて、

驚くことにその口に含んだ水を顔面に吐きかけられたのです。

信じられなくて、あまりに驚きで、怒る気にもなれなかったのを覚えています。

少しして我に返り張本人に対し、怒ろうとするのですが相手は悪びれる気配が全くありませんでした。

 

また他にも、普段自分があまりにもいじられていることに対し

我慢しきれなくなって思い切り怒ったことがありました。

その時は、複数人にいじられていたので周囲にいた2人に膝蹴りと普通の蹴りをお見舞いしました。そしてこのように言いました。

「どいつもこいつも調子に乗んな! ずっと我慢してきたんだよ!」

 

口調や行動から当時の自分がどれほど頭にきていたか想像ができると思います。

怒った自分に対し、一時期は相手も態度を沈めましたがそれも長続きはせず、

しばらくすると、かえって信じられないような暴挙に出るようになりました。

 

自分が怒ったセリフそのままを使って替え歌を作ってきたのです。

 

 

当時はこんなゴミがどうして生きているのか? よく恥ずかしいとも思わずに平気で生きていられるのか? ととにかく疑問に思いました。

 

そんな思いがありながらも、

自分は「ふざけんなよ~♪」と怒るふりをしていました。

今挙げた2つ以外の事においても同じで、いじられる度におどけるふりをしていました。

また、何かお願い事や当人たちが困っている様子を見ると、その事情を汲んで可哀想に思い助けてしまうのです。ですが、それによって関係が変わることはなく、その一時は感謝されることはあっても、その後すぐにいじられるようになります。

これが当時の自分にとって深い悩みでした。自分としては思い切り復讐をしてやりたかったのです。

助けてしまう度に

「何故自分はあんなクズに媚を売ってしまうんだ。この意気地無しめ!」

「心置きなく何の躊躇もなく彼らを痛めつけ、救いの手も払いのけられたらどんなにいいだろう」

そのように思っていました。

 

 

 

2.心の奥底に隠れた心理

いかがでしたでしょうか?

これが中学生当時の自分が受けていた扱いと、その時の感情です。

当時の自分は正義感の強い性格でもあったため、怒りを爆発させることが出来たときも

ありましたが、読者の皆様のなかには怒れずにいる方やいつの間にか「あれっ、もしかして私って今いじめられてる?」と思ったことがある人もいるかもしれません。

 

 

当時の自分は「何故あんな奴らをどうして切って捨てられないのか?」

「どうして、可哀想に思い助けてしまうのか?」

「どうして、こんなに嫌いなやつなのに嫌われたくなくておどけてしまうのか? 怒っていないふりをしてしまうのか?」

とにかく疑問でしたし、そんな自分が大嫌いで意気地がないと責めていました。

他人も自分も自分の事を責めている状況で立つ瀬がありませんでした。 

 

 

・嫌いな人間にも嫌われたくない。

本当に心から殺してやりたいと思っているほど憎らしい相手で、直前までその相手に対する

恨み考えていたのに、急に話掛けられた途端愛想笑いをしてしまうのか? 怒っているのか? と聞かれて、怒っていないよ と言ってしまうのか、当時の自分は不思議で仕方がありませんでした。

今振り返ってみると、嫌われたくないというのは、好かれたいということの裏返しであり、

好かれたいというのは、自分の中で満たされない思いがあるということなのかなと

思っています。自分で自分の事を肯定してあげることが出来ず、他人からの評価で自分の価値を補っていたのだと思います。嫌いな人間からさえも好かれたいほど、満たされない思いが高じていたのだと思います。

 

・嫌いな相手でさえ、相手の事情や立場を考えて可哀想に思い、助けてしまう。

「 こんな人間のクズ今すぐ切って捨てろ」「こんな奴放っておけばいいじゃないか」

そんな風に思いながらも、いざとなると助けてしまいます。

「助けたからといって相手がいじめの手を緩めてくれるわけじゃないのに。むしろ、助けたのにも関わらずそれをからかわれる」

 

良いことの筈なのに当時の自分はこんなにも人を見捨てられないことに対して心底悩んでいました。本気で人を見捨てられるマインドを手に入れる努力をしたこともあります。

何故自分は人を見捨てられないのか? これは、一人一人の心の中に神様がくれた消すことの出来ない良心というものがあるからだと私は思っています。

どんなに悪いように見える人間であったとしても、良心というのは必ずあります。

自分に対しては悪い人間に見えても他の人には優しいかもしれません。良心があるからこそ、こんな奴と思いながらも助けてしまうし、仮に無視や復讐が出来たとしても心からは喜ぶことが出来ないのだと思います。

 

もし読者の中に同じ悩みを抱える人がいるのであれば、

今は辛かったとしても自分の良心を誇ってもらいたいと心から願います。

自分の行いに対して相手がどう思い変わってくれるかを求めると、必ず辛くなってきます。相手はこちらの思う通りには変わってくれないので、自分の良心に従うことを目的とし、良心に従った自分の行動に対して喜びを感じてもらいたいです。 

 

3.

 さて、ここまで色々言ってきましたが結局今現在どうなっているのか?

 

………今は結局めちゃくちゃいじられています(笑)

 

もはや、そういう星の下に生まれたのだなと受け入れています。

一時期は漫画やアニメの影響で二枚目キャラに憧れていたこともあったのですが、

絶対に自分はそんな人間にはなれないことがわかりました(笑)

 

ですが、変わったことも幾つかあります。

まずは、受け止め方です。環境はあまり変わっていませんし、むしろ以前よりいじられているようにすら感じますが、今はいじられていても感謝出来るようになりましし、一緒に笑ってあげることが出来るようになりました。 

「きっと今この人の中にも満たされない思いがあるのだな」

と思って、親のような気持ちで見てみると相手が可愛らしく見えてきます。

「この人は本当は自分の喜ぶ顔が見たいんだな。自分が喜びたいだけなんだな。今はただ表現が苦手で、自分でもどうしていいか分からず偶々言葉の暴力という形で現れているだけなんだ」

このように思えるようにもなりました。

 

 

 

やはり、自分がこのように変われたのには信仰の力があったように思います。

信仰を持つようになって神様の愛を実感し、その自分を愛してくれている神様が人類全員を愛してくださっているのだと思い、神様の目線で自分をいじめていた人たちを見るように務めました。もちろん信仰を持ち始めたときには中学生時代の級友たちは共にいなかったので、記憶の中で振り返っていただけですが、許せない思いが解かれていったのを覚えています。

 

4.まとめ

 

いかがでしたでしょうか?

ここまで読んでいただいて少しでも読者の皆様の共感を得られていたら幸いです。

 

さて、今回の内容を纏めていきます。

・何故自分をいじってくる人間にもいい顔をしてしまうのか?

それは、自分で自分を肯定してあげることが出来ず、嫌いな人間からでさえ評価されることを望んでしまっていること。だからこそ、自分で自分のことを認めてあげてほしいです

 

・何故嫌いな人間でさえ助けてしまうのか?

それは、人の中に良心があるからに他なりません。

助けた自分を安売りせず、相手の行動を変えることを目標とせず、良心に従えたことを誇り喜んでもらいたいです。