塩狩峠を観たら、意外と教育者のあるべき姿が見えてきた話
皆さんこんにちは、こころのです。
今日映画『塩狩峠』を視聴しました。
めちゃくちゃ感動してボロ泣きです。脱水症状になるかと思いましたw
今回はその塩狩峠の中で感じた内容、勉強になった内容を書いていこうと思います。
皆さん塩狩峠知ってますか?
三浦綾子さんの小説が原作の映画で、
北海道の上川郡にある塩狩峠という場所で実際に起こった
列車暴走事故をもとに描いた小説です。
主人公はクリスチャンの男性で、その男性が信仰を持ち始めてから、
最後列車事故により亡くなるまでを描いた作品です。
主人公の永野は、暴走により谷底へと向かう列車を
自分を下敷きにして止めるのです。そして永野の犠牲のおかげで
乗客は全員無事に助かります。
もちろんクライマックスは、最後主人公が自分の命を
犠牲に乗客を助けるところです
が、
自分が印象に残った場所は違います。
主人公の永野は信仰における先生のアドバイスに従い、
生活の中で聖書にある聖句の1つだけを徹底して実践するようになります。
永野はその信条に従って会社の後輩に尽くしていきます。
給料を泥棒されても恨まず、後輩を首にした上司に一緒に謝りに行ってあげて、
その後も尽くし続けていきますが恨まれっぱなしです。
そんな永野は自分の信仰生活を告白する神様への手紙の中で
このように語っています。
自分は傲慢だった
このシーンを見た時に自分は本当に目から鱗が落ちるようでした。
自分もこの主人公永野が反省しているように、
自分は教会で教育者としての立場にも立っていますが、
日々人に色々な事を教えてあげようとしています。ですが、、
その行動や親切の裏には相手への見下しがあり、傲慢さがあることにきづきました。
まさに、分からないお前に教えてあげる。です。
どんな時も、相手に対し何をしてあげるよりもまず自分の見方が変わらないといけません。
いついかなる時もです。何か悪いことが起きているときは必ず自分に原因があります。
その現象を悪いことだと捉えている自分のフィルターがあるからです。現象自体に良し悪しはありません。
加えて自分の「教えてあげる」は、相手の為に教えてあげるよりは、
自分の都合のいいように、もしくは自分のものさしや型に押しはめた中で
良い方向に変わってもらえるように「教えてあげる」な気がしました。
相手が少しでも成長できるように教えてあげなければなりません。
また、色々願うものはあるけれど、その中でも一歩何を頑張らせてあげたら良いだろう
と、考えないといけません。
それが、部下や後輩を持つもののあるべき姿勢だとも感じます。
そのようにして生きた人の証が今も語り継がれています。こちらはモデルとなった方のお墓の写真です。