「自分は何も出来ない奴だ」、と思っていた
こんにちは。皆のこころに寄り添いたい「こころの」です。
最近は台風が接近しているのもあり、涼しくなってきていますね♪
前回の自己紹介記事を除いて、今回本格的な投稿は初めてです!
書きたいネタはたくさんあるのですが、栄えある第一号何を書こうか迷いました。
「人の心に寄り添うこと」をテーマとしているので、基本的に自分の体験談を通して感じたこと、
また自分はどのようにそれを克服していったのかを書こうと思っています。
「自分は何も出来ないやつだ」
から
「自分は何も出来なくても良いやつだ」
「何も出来ないと思っていたけれど、こんな良いところがある」
に変わっていく一助になることを願います。
今回は、「自分は何も出来なやつだ」と思っていたことを書こうと思います。
それでは本文へ↓↓↓↓
自分は昔から「自分は何も出来ないやつだ」という思いが強い人間でした。
ですが、最初からそうだった訳ではありません。
小学生時代は怖いもの知らずで万能感に溢れていました。
というより、人と比べるということを知らなかったため、
テストで高い点数をとってもそれほど誇りもせず、
所属していたサッカークラブでも、時々褒められれば嬉しい程度で、
人を見下すことも、自分は何も出来ないと卑下することもありませんでした。
読者の方も小学生の頃から、「自分は何も出来ない」と思っていた方は少ないのではないでしょうか?
徐々に変わり始めたのは、中学生に入り始めてからです。この頃から自分と周囲との違いを認識し始めました。特に印象的に覚えているのは、一年一学期の中間テストです。中学生初めてのテストでした。結果は散々で、初めてテストの結果を人に見せたくないという思いになりました。それから、小学生の頃からの延長で入ったサッカー部でレギュラーメンバーから外され、美術の授業や体育、容姿など比較され馬鹿にされることが多くなり、次第に自分でも「何も出来ない自分」を攻めてしまうようになりました。
当時親友だと思っていた友人からこんな一言を言われたことがあります。
「お前俺に勝ってるもの一つもなくね?」
場所も時間帯も表情もつぶさに覚えています。
この時の自分は何も言い返すことが出来ませんでした。
それでも、学生のときはまだ良かったのです。問題は社会に出てからです。
自分は服や人と話すことが好きでもあったので、アパレル店員の仕事に最初着きました。
そこでも散々でした。話しかけるときもテンパって上手く話せず、周りが見えず何度もお客様と衝突したり、足を踏んでしまうということがありました。加えて一番衝撃的だったのは、
レジ作業を全く覚えられなかったことです。何度も練習し、忘れないようにレジ周囲の見えるところにメモ紙を貼り付けたりするも一向に出来るようにならないのです。流石にレジ作業が出来ないのは自分でも衝撃で、かなりショックだったのを覚えています。
当時の店長は本当に面倒見がよく、優しい方だったので、今でも慕っている方なのですが、その方にはこんな事を言われました。
「お前、何なら出来るんだよ」
それに対し自分は
「そうなんですよ。何も出来ないんですよ」
と笑いながら答えました。
その時自分がどんな気持ちだったのかは、言うまでもありませ。
ここまでの言葉を言われた事がある人は少ないかもしれませんが、
この記事を読んでいる方の中でも、人に馬鹿にされて傷ついたり、人と比べて落ちないかビクビクしていたりする人もいるのではないでしょうか?
皆さんはそんな気持ちが自分の中にある時にどのように対処してきましたか?
お酒や趣味で気晴らしをするのか? 自分に向いている職を探すのか?
そもそも向き合おうとすらしていない?
自分が周囲の人を見ていると、殆どの方がそういった傷ついた気持ちに対し間違った対処をしているのではないかと思うのです。もしくは、他人のせいにして原因を見つめれ地ないのではないかと思います。
そもそも何故「何も出来ないと駄目なのか?」と、考えたことはありますか?
何も出来ない自分を受け入れられたならどんなに心が楽だろうと思います。
本当に心の奥底で思っていることというのは、「何か出来るようになりたい」ということではなく、「愛されたい気持ち」「満たされない思い」なのではないかと思うのです。
それを分からず、多くの人が人からの関心を得るためや、競争に負けてばかにされないように
「新しいスキルを取得しないと」「何か自分に向いた仕事はないか」と思ったりします。
それ自体は間違ったことではないですが、新しいスキルを手に入れて仕事に成功してどうしたいのか? 向いている職についたら全て悩みは解決するのか? 考えてみてほしいです。
誰も全ての競争に常に勝ち続けられる人なんていません。
一度自分の心の奥底はどんな気持ちを抱えているのか考えてみても良いのではないでしょうか?
自分は信仰を持つようになり、本当に多くの方に愛され尽くしていただき、
自分も人を愛していくことで、傷ついた心が癒やされていきました。
表面上を見れば何も変わっていません。相変わらず、絶望的に不器用で未だに多くの人に迷惑を掛けています。ですが、今では何も出来なかったとしても、誰に何の競争で勝てなくても「自分は愛されている」「自分には価値がある」と言えるまでになっています。
自分心の奥底を見つめることを通して、
本当に自分が思っていることは何なのか、本当に欲しいものは何のなのか?
是非考える一助になれば嬉しいです。